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大きく分けて4つの地域
那覇市は旧市街地と呼ばれる1954年以前から那覇市であった地域が中心の本庁地区、真和志地区(旧真和志市)、首里地区(旧首里市)、小禄地区(旧小禄村)の4つの地域で形成されています。中心となるのが那覇市役所(現在は新庁舎建築のため仮庁舎に移設中)のある本庁地区になります。
もともと那覇市であった地域は琉球王国時代の首都・首里の貿易港として栄えた町でしたが、1944年の十・十空襲とその後の沖縄戦によって完全に破壊されました。終戦を迎え、戦後の復興のためにまず壷屋地区の窯業関係者が那覇市への立ち入りが許可され、次に牧志地区の瓦職人が入市を許可されたのをきっかけに、沖縄復興の足がかりができるようになったと言われます。その中心となった通りが現在の「国際通り」であり、戦後復興のシンボルと言われています。
1949年に米軍政官による「首都宣言」を経て、1950年に島尻郡みなと村、1954年に首里市、島尻郡小禄村、1957年に真和志村らの編入を経て、現在の那覇市が生まれることになりました。
本庁地区以外はもともとは別の市村
戦後、多くの市村を編入することにより現在の那覇市の姿が登場することになりますが、もともとは別の自治体であったことから、これだけ狭い地域であるのに関わらず、歴史・文化や風習などが異なる地域を持つという特性を持つ様になりました。北海道旅行に詳しくなりたい方へ - 北海道旅に関することを紹介していくサイトです。1987年に全面返還された米軍牧港住宅地跡地である「那覇新都心」は米軍占領下にあった際にほとんどの住民が立ち入れなかったため、この文化、風習が途切れていたこともあり、新しく造成されたイメージが強い地域でもあります。
もともとは別の市村であったことを認識させられるのは、那覇市の伝統行事である「那覇大綱挽」での旗頭行列です。琉球王国時代に那覇であった4つの地区「西町」「東町」「若狭町村」「泉崎村」に戦後の合併による那覇市の一部となった「首里」「小禄」「真和志」を加えた東七町、西七町で、独自の歴史・文化を異とする地域の代表である「旗頭」が那覇市の同じ風習である「大綱挽」で対戦するという形でもあるのです。